2009年11月13日金曜日

『蚊取りの煙』〜その3、ジッポー〜

※以下、ネタバレ注意!
 作品を読んでからの方が楽しめます。


ユミは部屋にくると蚊を見つけます。
寝ているマサのために蚊取り線香とジッポーを持ってきて、火をつけます。
煙で寝苦しいのではないかと、蚊取り線香を枕元から部屋の隅に移します。
マサが目を覚まします。

以上のことが幕が開いて最初の台詞までに行われます。
その後のセリフから、描かれているのはマサが肺ガンのために入院する前夜であることがわかり、明確になりますが、すでに冒頭のこの時点で、


   図1

     蚊取り線香  →     →   蚊  
               煙
     (   )  →     →  マ サ



 ( 問1  図1を見て( )の中に入る言葉を答えよ。 )


が、できあがります(ちなみに問1の答えの言葉は、劇中一度も出てこない)。

そして、この図によって、我々はこの戯曲を通して「死」を思います。マサが蚊に自分を重ねて語るにもかかわらず、ユミは平気で蚊をたたこうとします。このユミにとっての、蚊とマサという二つの「死」の大きな差が、上記の図が示されることで我々にむなしさを抱かせます。
 物語が始まった時点で二人はすでにある程度「死」を受け入れているように見えます。しかしそこには葛藤があり、その葛藤がこの作品を形作っています。二人がマサの死を受け入れかけていることは特徴的なセリフからも読み取れます。ユミの「実際死にそうだけど!」はあからさますぎて真意ととれないとしても、マサの「結婚してよかった!」はずっしりと重いでしょう。一方で、ユミが非常にマサの体を気遣う様子や、マサがふとした瞬間に見せた「さみしそう」な表情からは、迫る死を二人がともに、完全には受け入れきれていないことが読み取れます。そして全体を見渡したときに、二人の会話が作品を通して「芝居がかって」いることが、二人の葛藤を浮かび上がらせています。
 「芝居がかって」いること、つまり「死」を避けるのではなくパロディ化して消化しようとする二人の心の動きは「練習」のシーンで頂点に達します。「練習」のシーンは、その悲痛さで迫ってくると同時に、劇中劇構造を持つことで、作品の「バラの花」のひとひらとしても、我々に迫ってきます。練習には当然本番が想定されます。しかし練習を繰り返すうちに本番を忘れ、練習をすること自体が目的となる、そんな状態が二人の間に見て取れます。そして「本番」を忘れた安心感に包まれ、優しく二人の過去を振り返りながら、マサは眠りについていきます。二人の間にはおだやかな空気が流れますが、我々は震撼します。なぜなら「本番」を忘れた二人の「練習」は、その意味でそのまま「本番」なのであり、眠りにつくマサは、我々にとってはまさに死の本番を迎えているのであり、ユミがマサの死を受け入れた、その「意志」を、我々が実感することになるからです。
 この時点で、実際はマサが死んでいないことを考えれば、象徴的な意味でユミはマサを殺したのだとすらいえる、それぐらい強いユミの意志は、劇のクライマックスとしてのカタルシスにつながるものです。そしてそれは火のついた蚊取り線香を短く折り取り、さらにそれを発話する(「・・・・・・折っといたから。もうしばらくしたら、消えるからね・・・・・・。」)という、まさに象徴的なシーンに極まるのであり、ユミはついに蚊を殺して(ここまでくるとホラーとすら!)幕が下りるのです。

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