2010年3月5日金曜日

『万人』検討ーその2ー

 観客に劇の趣旨が告げられた後、まず舞台上には「神」が登場します。キリスト教の神様は誰か知っていますか?馬鹿にすんな、といわれそうですが、これはちょっとしたひっかけ問題でして、その回答がこれもわかりやすく劇中で与えられています。この神は"thy Maker"「おまえの(万人の)創造主」(86行)であると同時に「盗賊二人の間で磔になった」(31行)人物でもある、つまり父なる神(ヤハウェ)であると同時にその息子イエス・キリストでもあるとされています。これは父と子と聖霊が一体であるとする「三位一体」の考え方に依っています。言葉は知っていて、何となく意味も理解していたつもりでしたが、目の前の舞台上に現れてしまえばそれは説得力が違います。早速教会演劇に「布教」されている私達に気付きます。

 一方でこの劇の筋の要は、神様に提出する万人の決算書("rekenynge")をまとめ上げていくことにあります。この「決算書」といういかにも世俗的なものによって物語が組み立てられていくのは、一般大衆にもわかりやすく教義を伝えようという目的によるのでしょうか。また、様々な人や物や概念に遭遇したときの万人の反応もひとつひとつがとても親しみを感じさせるものです。たとえば「死」が万人の前に現れた時には、

O Deth, thou comest whan I had the leest in mynde!      (119)
うわっ、死か、おまえが来るなんて少しも思っていなかった。

などなど。このように死が突然訪れるというモティーフは、ペストの流行でまさに突然死がやってくる事態が身近であった中世の死生観を反映しているといえそうです。ちなみに、語頭を大文字にすると擬人化が完了するのは英語の強みですね。

 すでに見たキャラクターのおかしみについてもう少し具体的に見てみます。中世の観客が同じように笑いながら見ていたかというのは、専門家でも意見が割れているようですが、「友情」の軽薄っぷりやクライマックスに至る場面での「美」「力」「分別」の裏切りは少なくとも現在の価値観では微笑まずにどころか、声を出して笑わずには見ていられません。たわまがの参加者の間では中世の観客も笑ったのではないか、娯楽的な側面も含めて一般に受け入れられたのではないか、ということで一応意見が一致したのですがどうでしょうか。

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