2010年4月4日日曜日

『シャクンタラー姫』検討ーその3ー

・道化
・神様
・ギリシャの影響
  ・祝祭

 『シャクンタラー姫』にはヴィドゥーシャカという道化役が登場します。演劇に道化が登場するというのは珍しい事ではなくて、世界各地の演劇でその例が見られます。「なぜ世界各地の演劇に道化が登場するのか」ということについては、民俗学者の山口昌男が『道化の民俗学』で考察しています。その中で道化に共通する要素としてあげられている、権力を逆転させる性格として、ヴィドゥーシャカがバラモン階級にも関わらずサンスクリット語ではなく民衆の言葉を話し、また王と「友人」として時には王をからかうようなやりとりがあることなどが当てはまりそうです。

 『シャクンタラー姫』は4〜5世紀に書かれたと考えられていますが、それ以前にヨーロッパで発展していたギリシャ演劇の影響をめぐって議論があるようです。インドとヨーロッパでは場所が全然違うじゃないか、と一見考えてしまいますが、それなりに根拠があります。ひとつはアレキサンダー大王の遠征がインドまでやってきていたこと、それによって、アレキサンダー大王が引き返したあともそこに残った人々によって文化が伝えられただろうというものです。他にも間接的にせよ、いわゆるシルクロードを介して文化交流はあったと考えられるので、まったく伝わる可能性がなかったわけではないようです。

 しかし一方で、『シャクンタラー姫』はギリシャ演劇の単なる猿まねにとどまるような作品でないことはもちろん、かなり独自性のある(ヨーロッパ演劇とは異なる)発展の系譜を持っているように見えます。それは岩波文庫版の巻末に付されている『サンスクリット演劇入門』を読めばわかるとおり、インド独自のドラマツルギー論の発展の度合いを見ても明らかで、それは「アリストテレス的演劇」とは全く別のロジックで組み立てられています。もちろん、神話を題材とする点、韻文で書かれ、歌と踊りが挿入される点、王の英雄的な性格や、女性の描き方など、似ているといえば似ている点もありますが、それが「ヨーロッパ演劇との共通点」なのか、あるいは「演劇の共通点」なのかということになると意見が分かれる点も多そうです。

 実はこれには伏線がありまして、インドという国が長らく大英帝国の植民地化にあったということがこの議論に影響を与えているようなのです。文化的に共通点を持つことが植民地支配を正当化することにはならないとは思いますが、特殊な関係を持ったインドとヨーロッパという関係の中で、政治的理由からねじれた議論になっていることは、古代の作品について論じる時の弊害になります。

 『道化の民俗学』の中では、ギリシャ神話のヘルメスが同様に道化の性質を持つものと論じられていますが、例えば、同じようにこの本で取り上げられるコメディア・デラルテの道化役であるアルレッキーノに対して、ヘルメスとの様々な共通点をあげながらも、(インドよりずっと地理的文化的影響を証明し易いであろうにもかかわらず)ヘルメスとの直接的な影響や関係性については関知しません。この山口昌男的な民俗学のアプローチは上の議論を乗り越える可能性を持っていると思います。

 この辺で終わりです。次回はついにシェークスピア。これまでの経験をいかして立ち向かうことができるでしょうか。

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