2010年2月8日月曜日

『メーデイア』検討ーその2ー

 ここまで読んでいただいた方はもう感じているかも知れませんが、紀元前431年に上演されたこの作品の初演時の演出については、様々な研究が行われているにもかかわらず、ほとんどわかっていないといっていい状況であるようです。それは、台詞の読み方ひとつとってもそうで、ギリシャ悲劇は全文が韻文で書かれていて、合唱隊の歌の部分とメインの役者の台詞の部分では違う韻律が使い分けられていたりするのですが、合唱隊の歌のメロディーもわからなければ、役者がどのように台詞をしゃべっていたのかもわかりません。オペラにはアリアとレチタティーヴォがあり、歌舞伎は散文の台詞の部分と七五調の台詞の部分があったりしますが、オペラのように全編にわたって「音楽的」だったのか、歌舞伎のようにわりと「散文的」にしゃべっていたのか、もしくはその中間か、現時点では想像するしかありません。2500年前の上演を録画したDVDでも発掘されるといいのですが。

 読み方という点でもう一つ。みんなで朗読をした後、事前にストーリーの背景や大まかなあらすじについての解説をしたのが、とても助かったという声がみんなから上がりました。確かに私達にとってはなじみの薄いギリシャ神話の1エピソードを題材にした作品で、上演当時の観客はこの「元ネタ」についてよく知っていたと思われるので、予備知識が必要な部分はあるかも知れませんが、ここであがった反応は、単純に「読みにくい。」とか「話が入ってこない。」というものではないかと思いました。そしてその原因は翻訳にあるのではないかと私は疑います。元々、古代ギリシャ語を日本語に訳せる人間はそうはいないので、ほとんどの場合学者が翻訳することになります。そうするとどうしても日本語戯曲としての読みやすさや自然さよりも、原文との対応や文法の厳密さが優先されがちです。そうするとやはり日本語のみを読むことになる多くの読者は読みづらさを感じてしまいます。これには、「ギリシャ悲劇の格調高さを表したのであって、いたずらに口語体で訳せばいいというものではないのだ」という反論がありそうです。

 この点について、これからおそらく数作品の古い海外の戯曲をたわまがで読むことになるので、注目してみたいと思っています。シェークスピアの小田島雄志訳とか、「反例」もいくつか思い当たります。あるいは次回はモリエールの喜劇だそうで、喜劇だったらなおさら、今の人にそのイメージを伝えるのためには、カジュアルな翻訳が求められるのではないかと思いますが、、、といったところで次回もまた楽しみです。

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