2009年7月29日水曜日

戯曲と演出についてーその2−

 シェークスピア研究の世界では、エリザベス朝時代の上演時の演出を明らかにしようという試みは早くから行われてきたようです。これは古代に比べると残存するテキストの量はもちろん、舞台構造や装置や当時の社会風俗などについての情報量が多いことが大きな理由です。(なにせ時代が違います。2500年前に比べれば400年前のシェークスピアの時代はつい最近です。その頃にはすでに印刷が普及していました。)
 舞台全体についての豊富な情報を持った上で、はじめてテキストから演出を読み解くことができます。ジュリエットのバルコニーは舞台に常設の2階部分があったことを知っていれば、ハムレットの父の亡霊は舞台に床下から迫り上がる特殊装置があったことを知っていれば、上演時の光景を想像する大きな助けになります。こうなると脚本を与えられればある程度は演出を思い描くことができるでしょう。シェークスピアの脚本が詩的に美しいというだけでなく、現在でもプロの劇団から高校生まで無数に上演されているのは、ストーリーの普遍性に加え、このような性格を持つからとも言えるかもしれません。

 一方、カビ臭い写本とにらめっこを続けていたギリシャ悲劇の研究者達は、ようやくルネッサンスの光を浴びに修道院の薄暗い書庫から劇場へと出てきたのですが、不幸なことに彼らの劇場はすでに廃墟でした。たしかに彼らの研究はテキスト解釈への新しい視点をもたらし、一定の成果を上げたでしょうが、劇場を取り巻く環境についての情報が非常に限られている以上、2500年前の光景を再現してみせる試みにはやはり限界がありそうです。そうなると上演台本としてのギリシャ悲劇は魅力に乏しいことになります。近年やはり数多く(さすがに高校生はやらないか)上演されるギリシャ悲劇は、古代のテキストの忠実な翻訳を台本に使っているとしても、様式についてわかっていることを申し訳程度に導入した、きわめて現代的な演劇となっています。

 ここまで西洋演劇の2大トピックを題材に戯曲と演出の関係について書いてきましたが、では、現代演劇についてはどうでしょうか。最後に少し考えてみたいと思います。

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