2009年7月29日水曜日

戯曲と演出についてーその1−

ひっそりと更新したいと思います。

 大学で古代ギリシャ悲劇を研究しています。

 ギリシャ悲劇は今から2500年前の祝祭で3万人の観客の元で上演された、西洋演劇の元祖です。その上演様式に興味があるのですが、考古学的なアプローチでは限界があるようで、というか、あんまりよくわかっていないようです。仮面劇で、役者が3人と合唱隊が演じ、歌と踊りに彩られ、日の出から日の入りまでぶっ通しで上演されたようなんですが、わかってるのはその程度で、実際どのような演出の元に上演されていたかについては、掘っても掘ってもあまりよくわからないようです。

 そこで重要になってくるのが、テキスト読解です。三大悲劇詩人と呼ばれる古代の劇作家の作品が30作品ぐらい現在に伝わっているのですが、これらの作品の読解を通して演出を明らかにしていこうという試みが多くの成果を上げています。
 もともとギリシャ悲劇は「言葉の演劇」と呼ばれていて、ほとんどの動作はせりふによる説明とともに行われます。たとえば、「おお、あそこにきたのはソクラテスではないか!」、とすでに舞台上にいる誰かが言わない限りソクラテスは舞台上に現れません。そのような性質が読解から詳しい演出を明らかにすることを可能にしていると言えます。(もっとも、「言葉の演劇」としておくことで、読む人々が古代の円形劇場の情景を想像できるようにしたという面もあると思います。なにしろ「言葉しかない」のです。)なので、ギリシャ演劇のテキストにはト書きがありません。もっともこれは、劇作家と演出家が同一人物だったという事情も影響しているでしょうが。

 上演時の演出に迫ろうという、このようなアプローチは比較的新しいもので、ここ2、30年の間に出てきたものです。それまではいかに完璧な台本を復元するかが最も重要な研究目的でした。(近代的な古典文学研究が始まったのはせいぜい200年前ぐらいです。)現代に入って新しいアプローチが出てきたのは、もちろん従来の方法の行き詰まりもあるでしょうが、比較文化研究の方法が確立され、シェークスピア研究の方法が取り入れられたことが大きいようです。

もう少し、この話を続けたいと思います。

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